早稲田は田んぼだった?

太田道灌が鷹狩りの際、雨にあい、農家の娘に蓑(みの)を借りようとしたとき、山吹のひと枝を差し出されたという。後拾遺集の歌「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき」にかけたものだと教えられた道灌がその後和歌の勉強に励んだという。

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桜の名所目黒川界隈、早稲田はかつて稲田と茗荷畑が広がる田園地帯であった。
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水稲荷神社にはいまでも神田に稲の苗を奉納する風習がある。
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甘泉園は湧き水がおいしいとされたところ、清水家の江戸下屋敷だった。
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明治15年大隈重信が東京専門学校を創立。明治35年に早稲田大学と称し飛躍をとげる。関東大震災、東京大空襲をへて大きく変貌。学生の街としてよみがえる。

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テーノー大学の方はこちらをバカダ大学と呼ぶことがあるそうです。学生ってやっぱりたのしいですね。
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by yumehonclub | 2014-05-09 18:56 | Comments(0)