日本橋魚河岸 乙姫





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日本橋は江戸の中心、日本各地への距離はここを起点とした。海から昇る朝日を直接見ることができたので日本橋と名付けられたという。



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消費の街江戸は日本各地からたくさんの物資を集めていた。多くは大型船で江戸湊に着き、小型船に積み替えられて日本橋川を上り、両側の河岸の市場に届けられた。魚市場でいえば干物ばかりでなく、鎌倉沖からの生きた魚も届けられた。


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日本橋の隣、江戸橋の両岸は四日市河岸、木更津河岸、その先には行徳河岸といわれる各地からの便があった。市場が並び、倉庫が並べば、たちまち盛り場も出現する。京都、伊勢、近江など地方の大商人たちもこぞって進出した。


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ここは鎧橋、鎧の渡しのあったところ、江戸名所図会にも描かれた。当時、対岸は倉庫街。川は行き交う船で大混雑だ。



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手前が魚河岸、日本橋川には高速船(八挺艪:8人で漕ぐ)が新鮮な魚を運んでくる。周りは倉庫が立ち並ぶ。当時世界一の大都市江戸の台所が日本橋魚河岸を中心とした河岸の流通センターだ。川をつなぐ水路も造った。
江戸の河岸には米、野菜、材木、竹、酒なんでも集まった。酒は灘などの西の都からの下りものが上物、それ以外は下らないものと言われたとか。














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by yumehonclub | 2017-06-30 11:59 | Comments(0)