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いわゆる神武東征の折、敵の予想を裏切って逆のコース、熊野から大和へと案内したという八咫烏(ヤタガラス)。

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青岸渡寺の三重塔と那智の瀧、瀧は熊野那智大社の御神体。かつては一体のものであった。分離したのは明治政府である。


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落差133m、そのしぶきを浴びるだけでもご利益があるという。


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かつて熊野川の中州にあって大いに栄えていた熊野本宮大社、明治22年の大洪水によって流され現在地に移転、中州には巨大な鳥居が残された。


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青岸渡寺、観音霊場巡礼、西国三十三箇所の一番札所である。ここを出発点にして奈良、京都、兵庫、滋賀、岐阜、大阪などの古刹三十三箇所を巡る。


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また京都、大阪方面からは熊野詣でがさかんに行われている。後白河上皇の熊野詣では34回に及んだのは有名。熊野は浄土とされたのだ。一方で、熊野は修験者(山伏)の修行の山でもある。世界遺産にも選ばれた厳しい山道は命のありがたさを確かめる道でもある。

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by yumehonclub | 2016-06-10 18:39 | Comments(0)

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高野山へ行ってきました。117の寺があるそうです。そのうち32は宿坊、参詣者が泊まることのできる寺です。
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早朝には必ずお勤めがあります。中心は金剛峰寺の金堂、大きな本堂です。山の中ですから雨が多いところです。通常の土瓦ではすぐ傷んでしまうそうです。こちらは銅葺きです。銅は溶けてあたると害が出ることがあります。そのため屋根のひさしを大きくして、雫がどこにもかからないようにつくっています。また落雷などによって7回の火災に遭ってきました。中は左右に国宝級の巨大曼荼羅をつるした内陣、本尊は高村光雲の薬師如来、多数の華麗な壁画、そして大広間。真冬、氷点下の大広間での修行はつらいと修行僧は言っていました。裏には仏様の非常用避難口も用意されていました。
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 本堂の隣は大塔、朱塗りの大きな塔はどこから見ても周囲を圧倒します。夜はライトアップされています。観光客には外国人カップルが多かったです。
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 そして奥の院への道。ここは不思議なところです。たくさんの会社の供養墓、宣伝も兼ねたような像やロゴつきの供養墓が並びます。
 松下幸之助像、柳家金語楼のらくがき塚、いろいろな人たちの思いを乗せた墓が並びます。こちらは浄土宗法然上人の墓です。
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さらに深い杉木立のなか戦国武将など全体では20万基の墓があるそうです。
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 織田信長、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家、明智光秀、石田三成、伊達政宗、武田信玄・勝頼などの敵味方入り乱れて墓があります。一番大きいのは徳川家光の母お江(ごう)様です。塔は基礎が9m四方、高さ6.6mあるそうです。最後に皇室関係の墓所をすぎると奥の院、いまも空海、弘法大師が修行を続けているとされる場所に到着します。感動的な説明に感きわまる人もいます。いったいここはなんだろう。

 10人ほどの学生僧グループに時折遭遇します。若いので元気です。頭をまるめていますが、みんな女性です。風のように歩いて進みます。思わず見とれてしまいます。修行の一部でしょうか。カッコイイ

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by yumehonclub | 2016-06-08 13:59 | Comments(0)