1972(明治5)年、小菅煉瓦製造所がつくられた。銀座煉瓦街で使用。1884(明治17)年札幌に鈴木煉瓦工場が建設された。鉄道トンネル工事、北海道庁舎、ビール工場など広く煉瓦が使われた。関東でも荒川放水路沿いに東京煉瓦工場、綾瀬川沿いに花又帝国煉瓦工場など工場がたくさんあった。水運が煉瓦の運送に有利だったことと材料の土を得るのに適していたようだ。上野の博覧会にも煉瓦が出品されている。全国にたくさんの煉瓦工場がつくられた。
c0326000_122368.jpg
                                     深谷駅入口(埼玉県深谷市)京浜にけ(wikipedia)

 日本煉瓦製造は1887(明治20)年、渋沢栄一によって埼玉県深谷市に工場がつくられた。深谷は渋沢栄一の出身地である。古くから瓦を生産してきた良質の土があった。ドイツの最新技術を導入、良質の煉瓦を大量生産できた。当初隣接する小山川から利根川を経由した水運を利用していたが、需要に追いつくために工場から深谷駅まで専用鉄道を敷設、列車で全国に運んだ。東京駅、万世橋鉄道高架橋、三菱第一号館、旧丸ビル、東京裁判所、慶応大学図書館、横浜開港記念館など歴史的建造物の数々を支えた。
c0326000_124223.jpg

                        東京駅

 1923(大正12)年、関東大震災に襲われると、煉瓦造りが案外弱いことが知られ、急速にコンクリート造りに移行していった。工場跡地は今も空き地のままであったり、土を採掘した跡だろうか。なかには池ができていたりするところもある。100年以上、近代化を推進してきた煉瓦はブラタモリのように意識して見ないと気がつかなくなってきている。
[PR]
by yumehonclub | 2015-08-06 12:10 | 近代化 | Comments(0)