こんな身近に隅田川収容所 東京俘虜収容所

 広い鉄道操車場の片隅にある日通の倉庫。そこは太平洋戦争の一時期、香港などで捕虜となった英・米・カナダ・オランダ兵などの収容所だった。鉄道貨物と舟運の重労働の荷役作業を課され、反抗すれば厳しい罰が与えられた。激しい怒鳴り声や悲鳴が時折外にも聞こえたという。比較的優しい収容所長もいたが、わずか2ヶ月で交代させられたという。やがて空襲が激しくなり、操車場は恰好の標的。いつ捕虜たちも巻き込まれるかと怯えていたという。

 ところがある日を境に、捕虜たちの態度がより反抗的になった。日本は負けたという噂が流れた。彼らはラジオを作って聞いていたのだ。米軍機が超低空で偵察に来た。捕虜たちは大喜びで手を振った。こうなると今度怯えるのは日本人だった。

 捕虜たちは着る物も十分与えられず、2段または3段ベッドにわら布団で寝ていた。食べ物を荷物から盗めば棒で激しく殴られた。

 解放後は逆に憲兵が取り囲まれ、捕虜たちから激しく殴られ蹴られた。


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いまの倉庫はとてもお洒落になっている

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収容所があったところは瀟洒なマンションになって当時を思い起こすことは難しい。


 隅田川収容所(東京俘虜収容所第10分所)は南千住にあった。収容所での死者は2名。終戦時の収容者は256名という。裁判では8人が裁かれ、捕虜の死に関係したとして所長が死刑、他は重労働5〜30年だった。虐待が主な理由だった。(笹本妙子氏レポートより)


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by yumehonclub | 2018-08-21 17:34 | Comments(0)