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日暮里撮影所・向島撮影所

 ビルが建つとそれまで見えていた富士山が見えなくなるということで、景観保護運動が起きた日暮里の富士見坂。かつてこの近くに最古の映画会社である福宝堂日暮里撮影所がありました(1910年)。その後東洋商会東京日暮里撮影所となり、白黒無声映画を世に出した。やがて天然色活動写真日暮里撮影所と名を変え、1919年まで多数の映画製作をしたという。


 

富士見坂


 日活(日本活動写真フィルム株式会社)が1913(大正2)年隅田川のほとりに向島撮影所を作った。自然光を利用するためガラス張りの900㎡のスタジオだった。
 当時は女性の役は女形が演じた。のちの監督の衣笠貞之助も女形として活躍した。「カチューシャ」という映画がヒットしたが、女形にはアップは向かない。やがて女形は女優に変わっていった。ここで溝口健二は23歳で監督になったという。
 多くは一本40分程度の無声映画、制作費今の金額で1000万円ほどの作品でした。しかし1923(大正12)年の関東大震災で撮影所は壊滅。貴重なフィルムも失われた。その後同地にできた学校の片隅に碑が立つのみである。


近代映画スタジオ発祥の地(墨田区立桜堤中学校)


by yumehonclub | 2018-08-20 12:39

江戸散歩

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