瀧廉太郎と奏楽堂 宮城道雄

明治23(1900)年頃、瀧廉太郎は多くの歌曲をつくっています。20歳の頃です。
花(春のうららの隅田川)、荒城の月(春高楼の花の宴)、箱根八里(箱根の山は天下の嶮)、お正月(もう幾つ寝るとお正月)。

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東京音楽学校(東京芸術大)の歴史的校舎です。
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東京音楽学校で学んだ瀧は、校内の奏楽堂(コンサートホール)でピアノを弾いていたという。
奏楽堂はその後、保存のため上野公園内に移築され、いまも当時のまま演奏会に使われています。
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c0326000_14333777.jpg瀧廉太郎はドイツに留学しますが、結核に冒され、わずか23歳で亡くなってしまいました。





































東京音楽学校は、「からたちの花、この道、赤とんぼ」の作曲家であり、日本初のオーケストラを試みた山田耕筰、「雪の降るまちを、めだかの学校」の中田喜直、「犬のおまわりさん、サッちゃん」の大中 恩、さらに声楽家、藤山一郎、松田トシ、石井好子、作曲家・指揮者、團伊玖磨、芥川也寸志、黛敏郎、間宮芳生ら、多数の音楽家を輩出しています。

また箏曲「春の海」をつくった全盲の宮城道雄は1937年に教授になっています。
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by yumehonclub | 2015-01-13 14:38 | Comments(0)