いつからあったのだろう 花畑大鷲神社

木々に挟まれた参道の先、小高いところに社が建つ。現在の建物は江戸末期、秋田藩主佐竹氏の寄進という。本社の正面の柱をはじめ外壁を飾る彫刻は見事で見る人を圧倒する。
c0326000_11351297.jpg

c0326000_11464878.jpg
c0326000_11323673.jpg

江戸市中から隅田川、綾瀬川と舟で上ってくると花畑大鷲神社に来る。11月酉の日には市が開かれる。酉の市発祥の地だ。この日近在の農家が飼っていた鶏を神社に奉納祈願の後浅草・浅草寺に放生したのだという。またこの日は辻賭博が公認されていたということで賭博目当てでも大いに人が集まった。

c0326000_1131830.jpgc0326000_1263392.jpgc0326000_11361911.jpg


境内にたくさんある力石。50貫余、190キログラムの石を持ち上げた男の名は巳之助とある。








熊手は縁起物として売られ、農閑期の内職でもあった。やがて辻賭博は禁令。江戸市中でも酉の市が盛んになり、浅草、吉原と盛り場が移っていった。







江戸名所図会に描かれている同じ場所に蜀鶏(トウマル)など古来種の鶏を飼育展示している。















花畑大鷲神社はいつできたのだろう。祭神はヤマトタケル。伝承は後三年の役(1083)奥州藤原氏滅亡の頃だ。土地の形や環境から元は古墳ではないかという説もある。つまり少なくとも1000年、あるいは古墳時代にまでさかのぼるかもという。周りに農民がいて、祭事を営む頃、もうできていたのかもしれない。7月の鹿踊りも有名である。動物との共存もキーワードかもしれない。
[PR]
Commented by 久下五十鈴 at 2014-07-08 14:34 x
田中巳之助さまに感心がありますもとは岐阜県ですか
by yumehonclub | 2014-04-07 12:51 | Comments(1)